キャリアや技術に甘んじない。本当に「仕事ができる人」の特徴とは?【食べるエッセイvol.14】
「自分はできている」と思った時点で成長が止まる
人間、年齢を重ねれば「できること」が増えていきますよね。
新入社員だった頃は、何時間もかかっていた作業も、5年10年と続けていくうちに、ある日を境にスッとできるようになったりする。
習慣が行動をつくり、徐々に仕事に慣れていく。長年の経験は「キャリア」となっていくでしょう。
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とはいえ、「勤務歴が長いこと」や「ベテランであること」に胡座をかいて、いかにも「自分はできている」「完璧だ」と思い込んでしまうのはいささか危険なことではないか、と僕は思っています。
特に、僕たちが日々扱う「食肉」は命ある生き物。
この世に瓜二つの人間が存在しないように、肉にも個性がある。同じブランド、同じ部位であっても「一定」など存在しません。
そんな「不定の素材」を扱う上で最も求められるのは、やはり技術や経験以上に、素材に対する「愛」や「真心」だと思うのです。
どれだけ手早く仕事ができたり、肉を上手にカットできたとしても、素材へのリスペクトを持てないようでは、その人は本当の意味で「仕事ができる」とは言えません。
これは、なにも食品に限ったことではなく、どんな仕事においても同じことが言えるのではないでしょうか。
「運転ができる」の「できる」は一体何を指しているのか
例えば、僕がベテランのタクシー運転手だったとします。
十数年前に運転免許を取得して、ドライバー歴も長い。三田の街で長年暮らしているから、抜け道にも詳しいとしましょう。
この場合、僕が「運転ができますよ」と口にしたとしても、何ら違和感はありませんよね。
ところがもし僕が、
「ベテランの俺に、走れない道はない!」
「新人のドライバーには負けない!」
と慢心して、毎晩夜遅くまで飲み歩き、体調管理を全くできていなかったらどうでしょう。
さらに、お客さんを乗せる座席のメンテナンスさえも怠り、車内には常にタバコの匂いが染み付いていていたら……?
いくらベテランで運転技術が優れていたとしても、これでは、誰もお金を払ってタクシーに乗りたいとは思ってくれませんよね。
つまり、ここで言う「運転ができる」の「できる」は、エンジンのかけ方、ハンドルの握り方、アクセルの踏み方、交通記法を知っているという「事実上のできる」ではなく「それ以上の何か」を指しているということになります。
それは、仕事に対する準備力、乗客への心配り、天候やあらゆるイレギュラーに対応できる能力など……一言では表現しきれない、仕事人としての「心の在り方」ではないでしょうか。
本当に仕事ができる人とは
経験やキャリアは、
数日で積み上げることはできません。
しかし、仕事に対する心構えは違います。
たとえ入社1日目であっても、その人の心にしっかりと素材と向き合う覚悟があれば、右ハンドルでも、左ハンドルでも運転できるドライバーのように、やがてあらゆる種類の肉を扱うことができるようになるでしょう。
もちろんこの「心のあり方」は、カットの技術と違って、簡単に伝えられるものではありません。
鬼滅の刃の錆兎の言葉を借りるなら『血肉に叩き込め』でしょうか(笑)
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こんなことを書いている僕も、毎日の仕事を振り返りながら、日々自分の心の在り方を見つめ直しています。
一つ
・どれだけベテランになっても、立場が上になっても「自分はできている」と傲らないこと。
二つ
・仕事道具や素材を大切にし、その向こうに存在するお客様への「愛」と「真心」を忘れないこと。
三つ
・仕事に取り組む時間は、日常と自我を切り離した「仕事の自分」になること。
どんな人間でも、365日毎日「完璧な自分」であることは難しいものです。
誰かに腹が立ったり、慢心したり、思うように働けない日もあるかもしれません。
思いがけないトラブルや不測の事態が起こることも、沢山あるでしょう。
同じ日が二度と訪れないように、
同じ肉を扱うことは二度とありません。
だからこそ、
肉の声に耳を傾け、目の前の素材にしっかり向き合っていきたい。
どれだけキャリアを積み重ねても、日々まっさらな気持ちで職場に向かえる人こそが、真の「仕事ができる人」ではないか、と僕は考えています。
立場が変わっても、何十年と仕事をしていても、いつまでも「心」はスーパールーキーでありたいものですね。
それでは今日はこの辺で。
みなさまの今日が、明日が、より豊かでおいしいものになりますように。肉岡肉道でした。
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