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人と自分の「常識」は違う。僕にできるはじめの一歩【食べるエッセイvol.19】

常識は「国」や「人種」で違う

世の中に溢れる「常識」は、国や人種が変われば簡単に覆ってしまうもの。

海外を訪れて、日本文化との違いに驚いた経験をお持ちの方も多いでしょう。

先日とあるバラエティー番組を見ていた時のこと。

その日は「先住民のおもてなし」が特集されていたのですが、なんとVTRの中で紹介されたご馳走は‥‥‥大きなカブトムシの幼虫を葉っぱで挟んで蒸したものだったのです!(笑)

躊躇うことなく素手でパクリとたいらげる先住民。動揺する出演者。

これでは、おもてなしどころか、むしろ罰ゲームですよね(笑)

同じ日本でも、関西と関東では文化が随分と異なります。

その昔僕の義父が、関東から来たお偉い会長さんをうどんすきの名店に案内したところ「昼間にうどんを食べさせるなんて、自分を軽んじているのか」と激怒されたそうです。

常識は「個々」で違う

「ここは僕に任せてください。綺麗に形を揃えて切っておきますね!」

先日、ジャンボ市で僕がケンネン(牛脂)を切っていたところ、途中から、とあるスタッフが作業を引き継いでくれました。

ケンネンに限らず、僕は肉の切り方に対して、かなり細かいこだわりを持っています。

ところが、その日はジャンボ市。
現場は慌ただしく、カットのポイントを十分に伝えることができないまま、持ち場を引き継ぐことになったのです。

イベント終了後、スタッフがカットしてくれたケンネンを見ると‥‥‥

う〜ん!
確かに形は揃っているかもしれないけれど、何かが惜しい!

残念ながら、僕が求める理想のケンネンとは少々異なる仕上がりでした。

もちろん、スタッフを責めたいわけではありません。

ただ、切り揃えられたケンネンを見て思ったのです。

先住民と日本人の御馳走が違うように、『綺麗に』も『形を揃えて』も人によって異なって当たり前なのだなあ、と。

自分の常識が全てでないことを、改めて痛感したエピソードでした。

伝えることは確かに難しいけれど

何年働いていても、誰かに何かを伝えたり、教えたりすることは、やはり難しいものです。

手旗信号のように、指示やマニュアルで癖づけることはできても、考え方や心まではコントロールできないし、してはならないものだと思っています。

常識なんて人種や国が変われば覆る 。
もっと言えば個々で違う。

では、

何もできることはないのか?
伝えなくても良いのか?

というと、きっと答えはNOで、僕は今までも、そしてこれからも、伝えることを諦めたくないのでしょう。

大切なお客様に対しても、
そして共に働くスタッフに対しても。

もちろん全てを伝えられるとは、思っていません。

それでも、点と点が繋がり、
いつか実を結ぶ日まで。

僕はこれからも、言葉や映像を通して、肉に対する情熱を伝え続けていきたいと思っています。

今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

みなさまの今日が、明日が、より豊かでおいしいものになりますように。

肉岡肉道でした。

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